元曲
黑漆弩
姚燧
【正宫】黑漆弩
吴子寿席上赋。丁亥中秋遐观堂对月,客有歌《黑漆弩》者,余嫌其与月不相涉,故改赋呈雪崖使君。
青冥风露乘鸾女,似怪我白发如许。
问姮娥不嫁空留,好在朱颜千古。
【么】笑停云老子人豪,过信少陵诗语。
更何消斫桂婆娑,早已有吴刚挥斧。
翻訳
これは呉子寿の宴席で作られた曲である。丁亥の中秋、作者は遐観堂で月に向かっていた。客が《黒漆弩》を歌ったが、作者はそれが月と関わらないことを惜しみ、そこで月に寄せて改作し、雪崖使君に呈した。 青く広がる空、風と露の中に、鸞に乗る仙女がいるようだ。彼女は、私の白髪がこれほどになったことを怪しんでいるらしい。嫦娥に問いたい。嫁がずに月宮に空しく留まったからこそ、その紅顔を千古に保つことができたのか。 陶淵明のような老先生が豪放であることは笑うべきではないが、杜甫の詩句を信じすぎたのではないか。月中の桂をあらためて斫る必要などあるだろうか。呉剛はとっくに斧を振るっているのだから。
解説
姚燧の《黒漆弩》は中秋の月に寄せた曲である。小序によれば、宴席で客が《黒漆弩》を歌ったが、作者はその詞が月と関わらないことを惜しみ、その場で月にふさわしく改作した。したがってこの作品には、宴席の即興、文人の遊び、曲辞改作の性格がある。 上片は「青冥風露乗鸞女」から始まり、澄んだ空、風露、鸞に乗る仙女を描く。しかしすぐに「似怪我白髪如許」と、自身の老いへと戻る。嫦娥に向けた問いは戯れのようでいて、実は青春、孤独、永遠をめぐる複雑な感慨を含む。嫦娥は人間の婚姻や時間から離れたからこそ若さを保つのかもしれない。人間は情を持つがゆえに老い、白髪になる。 下片では陶淵明、杜甫、月中の桂、呉剛といった典故が重ねられる。最後の「早已有呉剛揮斧」は、月宮神話を軽妙な冗談に変える一句である。全体として、月景だけでなく、神話、文学記憶、老境、宴席の機知が重なった作品である。
作者紹介
姚燧は元代の文学者・官僚・散曲作家で、字は端甫、号は牧庵。洛陽の人。学識ある文人として翰林直学士などを務め、古文にも名を残した。散曲の数は多くないが、酒席、月夜、老い、離情を通じて、文人らしい沈着な感慨を表す。市井的な華やかさよりも、人生の無常や晩年の寂しさを静かに描くところに特色がある。