元曲

小桃红 · 杂咏(一)

Xiǎo táo hóng · Zá yǒng yī

盍西村

Hé Xīcūn

Shì cháo míng lì shǎo xiāng guān,

市朝名利少相关,

chéng bài jīng lái guàn.

成败经来惯。

Mò dào wú rén shí zhēn yàn,

莫道无人识真赝,

zhè qí jiān,

这其间,

jí liú yǒng tuì shuí néng biàn?

急流勇退谁能辨?

Yī shuāng jùn yǎn,

一双俊眼,

yī tiáo hǎo hàn,

一条好汉,

bú jiàn Fùchūn shān.

不见富春山。


翻訳

市井や朝廷の名利とは、もうほとんど関わりがない。成功も失敗も、これまで見慣れてきた。世に本物と偽物を見分ける人がいないとは言わない。ただ、その中で、急流のさなかに勇んで退く者を、誰が見分けられるだろうか。一対の鋭い眼を持ち、一人の真の好漢であってこそ、富春山の隠者の姿を見失わないのである。

解説

この曲は、名利を看破し、時に退くことの価値を語った作品である。山水を直接描くというより、人生と世事についての議論が中心になっている。 「市朝名利少相關」は、作者の立場を示す。市井と朝廷は、世俗の利益と政治的名声が集まる場所である。しかし作者は、それらと自分との関係はすでに薄いと言う。これは世を知らない清貧ではなく、経験したうえで距離を置く姿勢である。 「成敗經來慣」は、その態度の根拠である。人の成功や失敗、栄光や没落を何度も見てきたから、作者は一時の勝敗に心を奪われない。 「莫道無人識真贋」は、世の中には真偽を見分ける目を持つ人もいる、という意味である。しかし本当に難しいのは、次の「急流勇退」を見抜くことである。 「急流勇退」とは、勢いがある時、名利が目の前にある時に、あえて退くことである。敗れて退くのではなく、盛んな時に退く。これは非常に難しく、深い見識と勇気を必要とする。 「一雙俊眼,一條好漢」は、そうした人物を見抜くには、鋭い眼と本当の胆力が必要だという意味である。ここでいう好漢は、単なる武勇の人ではなく、名利に流されない人物である。 最後の「不見富春山」は、厳子陵の典故を踏まえる。厳子陵は後漢の光武帝と旧交がありながら、仕官せず富春江に隠れた人物である。富春山は、富貴を拒み、独立した精神を守る象徴である。 この曲は、世の人々が名利と成功に目を奪われる中で、本当に尊いのは時に退くことを知る人物だと語っている。退くことは弱さではなく、場合によっては最も高い判断力なのである。

作者紹介

盍西村は元代の散曲家で、生平は詳しく分かっていない。一般には盱眙の人とされる。写景の小令にすぐれ、都市、水郷、節令、山水の風景を清新自然な言葉で描いた。また、短い作品の中に世事や名利、人生の栄辱への感慨を込めることも多い。代表作に『小桃紅・臨川八景』『小桃紅・雑詠』などがある。明代の朱権は『太和正音譜』で、その詞を「清風爽籟の如し」と評した。