元曲

小桃红 · 采莲女(一)

Xiǎo táo hóng · Cǎi lián nǚ yī

杨果

Yáng Guǒ

Cǎi lián hú shàng cǎi lián jiāo,

采莲湖上采莲娇,

xīn yuè líng bō xiǎo.

新月凌波小。

Jì de xiāng féng duì huā zhuó,

记得相逢对花酌,

nà yāo ráo,

那妖娆,

tì rén yī xiào qiān jīn shǎo.

殢人一笑千金少。

Xiū huā bì yuè,

羞花闭月,

chén yú luò yàn,

沉鱼落雁,

bù nèn yě hún xiāo.

不恁也魂消。


翻訳

蓮を採る湖の上に、可憐な采蓮の娘がいる。その姿は小さな新月のように、水波を軽やかに渡ってくる。覚えている、あの時、花を前にして酒を酌み交わしたことを。あの妖艶な姿、人を酔わせる一つの笑みは、千金でも足りないほどだった。花も恥じ、月も隠れるほどの美しさ、魚を沈ませ、雁を落とすほどの姿。そうでなければ、どうして人の魂まで消え入らせることができようか。

解説

この曲は、采蓮の娘の美しさと、彼女に出会った時の強い印象を詠んだものである。深い悲哀よりも、明るく艶やかな情趣が前面に出ている。 冒頭の「采蓮湖上采蓮嬌」は、場所と人物を一気に示す。蓮の湖、采蓮の舟、水辺の香り、その中に美しい娘がいる。彼女は静かな美人ではなく、水上で動いている生き生きとした女性である。 「新月凌波小」は非常に美しい比喩である。新月は細く清らかな姿を表し、「凌波」は水の上を軽やかに進む姿を思わせる。小さく軽やかな美しさが、ここに集約されている。 「記得相逢対花酌」では、過去の出会いが語られる。蓮の花を前にして酒を飲んだという場面には、花、酒、人の情が重なっている。これは遠い仙女ではなく、現実の宴遊の中で出会った魅力的な女性である。 「殢人一笑千金少」は、彼女の笑顔の力を誇張して表す。一笑が千金でも足りないという言い方は、元曲らしく率直で華やかである。 最後の「羞花閉月,沈魚落雁」は、中国古典における絶世の美女を表す成語を連ねたものである。しかし「不恁也魂消」によって、語り口はややくだけたものになる。そんな美しさでなければ、人をここまで夢中にさせることはできない、という意味である。 この作品は、采蓮そのものを写すというより、采蓮の場面を背景に、女性の若さ、笑顔、水辺の艶やかさを描いている。新月、波、蓮、酒、笑みが一つになり、明るい水郷の恋の情景を作っている。

作者紹介

楊果は金末元初の文学者・散曲家で、字は正卿、号は西庵。祁州蒲陰の人。金代に進士となり、元代にも仕え、参知政事に至った。清廉で有能な官僚として知られ、元好問とも親しく交わった。詩文詞曲にすぐれ、とくに散曲に特色がある。作品には自然風景、男女の情、宴遊生活を詠んだものが多く、言葉は清麗で華やかである。明代の朱権はその曲を「花柳芳妍の如し」と評した。