元曲
平湖乐 · 尧庙秋社
王恽
社坛烟淡散林鸦,
把酒观多稼。
霹雳弦声斗高下,
笑喧哗,
壤歌亭外山如画。
朝来致有,
西山爽气,
不羡日夕佳。
翻訳
社壇の煙は淡くなり、林の烏も散っていく。私は杯を手に、豊かに実った穀物を眺める。霹靂のように響く弦の音が、高低を競い合い、人々の笑い声がにぎやかに満ちている。壤歌亭の外には、絵のような山が広がる。朝からすでに、西山の爽やかな気が満ちていて、陶淵明のいう「山気日夕に佳し」を羨む必要もない。
解説
この曲は、堯廟での秋社の祭りと豊作を祝う情景を描いた作品である。秋社とは秋に土地神を祭り、収穫に感謝する行事である。王惲はここで、祭祀、農作、音楽、人々の笑い、山の清気を一つの画面にまとめている。 「社壇煙淡散林鴉」は、祭祀が終わった後の静かな場面である。社壇の香煙は薄くなり、林の烏も散っていく。厳かな儀式の余韻がまだ残っている。 「把酒観多稼」では、作者が杯を持って豊かな実りを眺めている。豊作は、地方にとって最も重要な幸福である。ここには、単なる風景鑑賞ではなく、民生への関心がある。 「霹靂弦聲鬥高下,笑喧嘩」は、祭りのにぎわいを音で描く。弦の音は雷のように響き、人々の笑い声が満ちる。秋社は厳粛な祭祀であると同時に、庶民の喜びの場でもある。 「壤歌亭外山如畫」の「壤歌」は、堯の時代に老人が撃壤して歌ったという伝説を思わせる。これは太平の世、民が自足している理想の象徴である。堯廟という場所と重なり、眼前の祭りが古代の理想政治と結びつく。 最後の「不羨日夕佳」は、陶淵明の「山気日夕佳」を踏まえている。陶淵明は隠逸の自然美を詠んだが、王惲はここで、朝の西山の爽気と豊作の喜びがあれば、それを羨む必要はないと言う。 この曲の価値は、景色の美しさだけでなく、民衆の生活の安らかさを描いている点にある。山が美しいだけではない。穀物が豊かで、人々が笑い、祭りが行われている。その全体が、作者にとっての美しい世界なのである。
作者紹介
王惲は元代の文学者・政治家で、字は仲謀、号は秋澗。衛州汲県の人。元世祖・元成宗の時代に仕え、翰林修撰、監察御史、翰林学士などを歴任した。人柄は方正で、政務に勤め、文章と学問にもすぐれていた。著作に『秋澗先生大全文集』がある。詩文・詞曲に才能を示し、元初の重要な文人散曲家の一人である。その散曲は文人的な雅致と元曲らしい自然な口語感を兼ね備え、清麗な景色の中に歴史感、民生感、人生感慨を織り込むことに長けている。