詩経

郑风·子衿

Zhèng fēng · Zǐ jīn

佚名

Yì míng

Qīng qīng zǐ jīn, yōu yōu wǒ xīn.

青青子衿,悠悠我心。

Zòng wǒ bù wǎng, zǐ nìng bù sì yīn?

纵我不往,子宁不嗣音?

Qīng qīng zǐ pèi, yōu yōu wǒ sī.

青青子佩,悠悠我思。

Zòng wǒ bù wǎng, zǐ nìng bù lái?

纵我不往,子宁不来?

Tiāo xī tà xī, zài chéng què xī.

挑兮达兮,在城阙兮。

Yī rì bù jiàn, rú sān yuè xī.

一日不见,如三月兮。


翻訳

あなたの青い襟が、私の心に長く残って離れない。たとえ私が行かないとしても、あなたは便りをくれてもよいのではないか。 あなたの青い佩びものが、私の思いをいつまでも引きつける。たとえ私が行かないとしても、あなたは会いに来てくれてもよいのではないか。 私は城楼のあたりを行きつ戻りつして待っている。一日会えないだけで、三か月も隔てられたように思われる。

解説

『子衿』は、『詩経』の中でも特に有名な相思の詩である。長い別離や大きな障害を描くのではなく、会えない一日の長さを歌っている。その日常的な待つ時間の中に、恋の切実さが凝縮されている。 「青青子衿」「青青子佩」は、相手の衣服や佩びものを通してその人を思い出す表現である。相手は目の前にいないが、青い襟や佩びものは記憶の中にあり続ける。そのため「悠悠我心」「悠悠我思」は、心が長く引き延ばされ、収まらない感じを伝えている。 前半の問いかけには、語り手の性格がよく出ている。自分が行かないとしても、あなたは便りをくれてもよいではないか。あなたが来てくれてもよいではないか。そこには怨みと甘えが入り混じる。抽象的な悲しみではなく、生きた恋人の声である。 「一日不見,如三月兮」は、相思によって時間の感覚が変わることを端的に表す名句である。一日は暦の上では一日でも、待つ心にとっては三か月にも感じられる。そこにこの詩の普遍性がある。

作者紹介

『詩経』の多くの作品は、周代に伝わった民歌であり、作者は不明である。簡潔で音楽性のある言葉によって、人々の恋、待望、労働、生活が表現されている。「鄭風」は特に恋愛詩で知られ、待つ心、相思、問いかけ、再会の喜びなどが生き生きと歌われている。