詩経

郑风·褰裳

Zhèng fēng · Qiān cháng

佚名

Yì míng

Zǐ huì sī wǒ, qiān cháng shè Zhēn.

子惠思我,褰裳涉溱。

Zǐ bù wǒ sī, qǐ wú tā rén?

子不我思,岂无他人?

Kuáng tóng zhī kuáng yě jū!

狂童之狂也且!

Zǐ huì sī wǒ, qiān cháng shè Wěi.

子惠思我,褰裳涉洧。

Zǐ bù wǒ sī, qǐ wú tā shì?

子不我思,岂无他士?

Kuáng tóng zhī kuáng yě jū!

狂童之狂也且!


翻訳

もし本当に私を思っているのなら、裳をからげて溱水を渡り、私のもとへ来ればよい。あなたが私を思わないのなら、私にほかの人がいないとでもいうのか。軽はずみな若者よ、まったく軽はずみなことだ。 もし本当に私を思っているのなら、裳をからげて洧水を渡り、私のもとへ来ればよい。あなたが私を思わないのなら、私にほかの男がいないとでもいうのか。軽はずみな若者よ、まったく軽はずみなことだ。

解説

『褰裳』は、明るく率直な恋の歌である。語り手の女性は、相手の男をただ待つのではなく、「本当に私を思うなら、裳をからげて川を渡って来なさい」と迫る。思っていないのなら、ほかに相手はいないのか、とも言う。この言い方には、恋の切実さだけでなく、自分の尊厳と選ぶ権利がはっきり表れている。 溱水と洧水は、鄭の地において男女が出会う水辺の空間として重要である。川を渡るという行為は、単なる移動ではなく、思いを行動で示すことを意味する。言葉だけの思慕では足りない。相手が本当に来るかどうかが、愛の確かさを測るしるしとなる。 結びの「狂童之狂也且」は、責める言葉でありながら、どこか親しみを帯びている。怒り切った絶縁ではなく、からかい、催促し、相手を試す声である。そのため、この詩には悲恋の重さではなく、若い恋の勢いと機知がある。 この作品の魅力は、『詩経』の中でも女性の声が非常に能動的に響いている点にある。恋は待つだけのものではなく、互いに近づくべきものだという感覚が、短い歌の中に生き生きと表れている。

作者紹介

『詩経』の「国風」に収められた作品の多くは、周代各地に伝わった民歌であり、作者は不明である。そのため通常は「佚名」とされる。恋愛、労働、戦争、宴飲、政治への批判など、先秦社会の多様な生活が素朴な言葉で歌われている。「鄭風」は特に男女の情愛や都市的な風俗を生き生きと描くことで知られ、『国風』の中でも民間的な生命感の強い部分である。