詩経

郑风·风雨

Zhèng fēng · Fēng yǔ

佚名

Yì míng

Fēng yǔ qī qī, jī míng jiē jiē.

风雨凄凄,鸡鸣喈喈。

Jì jiàn jūn zǐ, yún hú bù yí?

既见君子,云胡不夷?

Fēng yǔ xiāo xiāo, jī míng jiāo jiāo.

风雨潇潇,鸡鸣胶胶。

Jì jiàn jūn zǐ, yún hú bù chōu?

既见君子,云胡不瘳?

Fēng yǔ rú huì, jī míng bù yǐ.

风雨如晦,鸡鸣不已。

Jì jiàn jūn zǐ, yún hú bù xǐ?

既见君子,云胡不喜?


翻訳

風雨は冷たくもの寂しく、鶏の声がしきりに響いている。あなたに会うことができた今、どうして心が安らがずにいられようか。 風雨は激しく降り、鶏の声が絶えず響く。あなたに会うことができた今、どうしてこの憂いが癒えずにいられようか。 風雨は夜のように暗く、鶏はなお鳴き続けている。あなたに会うことができた今、どうして喜ばずにいられようか。

解説

『風雨』は、暗い風雨の中で人に会えた喜びを歌う詩である。各章はまず風雨と鶏鳴を描き、その後に「既に君子を見る」と転じる。外の世界が寒く暗く乱れているほど、会うことのできた喜びはいっそう明るく感じられる。 「風雨凄凄」「風雨瀟瀟」「風雨如晦」は、環境の暗さを段階的に深めている。最後には、朝であるはずなのに夜のように暗い。鶏は鳴いているが、風雨のために世界はまだ晴れない。そのような中で、思う人の姿を見ることは、心に光が差すような出来事となる。 「云胡不夷」「云胡不瘳」「云胡不喜」は、心の変化を示す。まず安らぎ、次に憂いが癒え、最後に喜びへ至る。これは単なる嬉しさではなく、長い不安と待望が相手の存在によって解かれる感覚である。 この詩は恋の歌としても、乱れた世において賢者や知己に会う喜びとしても読まれてきた。外の風雨はなお止まない。しかし心はすでに安らぎ、喜びへと変わっている。

作者紹介

『詩経』の「国風」は多くが作者不明の民歌であり、自然の景物を通して人間の感情を表すことに優れている。風雨、草木、鳥、道、水辺などの身近なイメージが、恋、憂い、出会い、安堵を支えている。「鄭風」は特に感情表現が明るく生き生きとしている。