詩経

唐风·有杕之杜

Táng Fēng · Yǒu Dì Zhī Dù

佚名

Yì míng

Yǒu dì zhī dù, shēng yú dào zuǒ. Bǐ jūn zǐ xī, shì kěn shì wǒ. Zhōng xīn hào zhī, hé yǐn shí zhī?

有杕之杜,生于道左。彼君子兮,噬肯适我。中心好之,曷饮食之?

Yǒu dì zhī dù, shēng yú dào zhōu. Bǐ jūn zǐ xī, shì kěn lái yóu. Zhōng xīn hào zhī, hé yǐn shí zhī?

有杕之杜,生于道周。彼君子兮,噬肯来游。中心好之,曷饮食之?


翻訳

一本だけ立つ杜梨の木が、道の左に生えている。あの君子が、もし私のもとへ来てくれるなら。私は心からその人を好いている。どのような飲み物や食べ物でもてなせばよいのだろう。一本だけ立つ杜梨の木が、道のほとりに生えている。あの君子が、もしここへ遊びに来てくれるなら。私は心からその人を好いている。どのように飲食を供して迎えればよいのだろう。

解説

『有杕之杜』は『杕杜』と同じく、一本だけ立つ杜梨の木を起興とするが、感情の向きは異なる。『杕杜』が孤独と助けのなさを歌うのに対し、この詩は待つ心、慕う心、もてなしたい気持ちを表している。木は道のそばに立っている。道は人が行き交う場所であり、同時に、誰かを待つ場所でもある。「彼君子兮」という呼びかけには、尊敬と親しみが重なっている。「もし来てくれるなら」という表現は控えめで、強い要求ではなく、心の中の願いである。「中心好之」は非常に率直な愛慕の言葉だが、最後の「曷飲食之」によって、その思いは具体的なもてなしへと移る。好きだからこそ、来てほしい。来てくれるなら、飲食を供して迎えたい。その素朴な情感が、この詩の魅力である。

作者紹介

『有杕之杜』は『唐風』に収められた無名の詩である。伝統的には賢者を求め、士を待つ詩として読まれることが多いが、民歌としては、来訪を待ち望む心の歌としても理解できる。『詩経』は草木や道などの自然物によって感情を起こすことが多く、この詩も道のそばの孤木から、来る人を待つやさしい心を導き出している。